松山城の北に位置する標高164mの御幸寺山は、室町時代初期の伊予国守護、河野通之の居城があったそうです。 現在は石鎚信仰の山となっています。 また、麓の登山口の側には、俳人種田山頭火の終の住処が遺されています。