松山城
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 Published On Jul 3, 2017

松山城が築かれたのは、慶長7年(1602)に「関ヶ原の戦い」で功績をあげた加藤嘉明が伊予20万石に封じられ、松前城から城を移して築城に着手する。
城の縄張りは土木や治水技術に秀でた足立重信が担当し、標高132Mの勝山山頂を削って本丸を造営、南西方面へ伸びるように二の丸、三の丸が置かれた。
寛永4年(1627)、嘉明は城の完成を見ることなく会津へ転封となり、続いて蒲生忠知が入場し築城を継続。しかし、忠知は同12年に急死し、翌年入封した松平定行がこれを受け継いでようやく竣工する。以後、明治に至るまで、松平氏の居城として14代に渡って世襲される。

アップ主の私は松山城の城下で生まれ育ち、幼少期の遊び場でもあった思い出深きお城です。そんなこともあり、昔を懐かしみながら必ず利用していた東雲神社の石段から登城しました。当時は二の丸は無く、三の丸は野球場、競輪場、市民プールなどの建造物で埋め尽くされていたのですが、綺麗に整備されておりとても嬉しかったです。松山最高です。

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