Published On Aug 18, 2024
00:01 デカパン博士(第63話「ほんとのことをいうな」より)
00:27 後期「おそ松くんのうた2」インストルメンタル版
01:29 イヤミ研究所(第68話「おそ松はわるい子」より)
02:26 後期「おそ松くんのうた2」エンディング編集版
03:28 台風の松野家(第61話「ゴロニャンお天気博士」より)
05:04 後期「おそ松くんのうた2」藤田まこと+キーボード版
06:06 おでんは嫌い(第71話「おでんノイローゼチビ太」より)
【映像編集】
第51話~第63話、第68話、第71話を編集した。
ストーリー映像は、音源だけを抽出したBGMを必ず足して再編集してある。
【1番目の音楽 ボーカル完全消去版】
※このチャンネル独自の編集
ピッタリ息の合った演奏から、
当時ナマ演奏をしていたバンドだと思われる。
オープニングの主題歌からボーカルを消す作業をした。
ネット上のサイトを10以上利用している。
さらに特定のサイトでは「分離モード」が10以上設定できる。
ネットとは別に、ソフトを使用した分離音源も作っている。
これらを全て利用して得られた多数の音源をストックする。
この中から最もボーカルが少ないモノを選んだり編集したりする。
ボーカル消去は、有効なサイトやソフトが曲によって変わってしまう。
全て試したが全部失敗ということもザラにある。
なので音源作りは毎回、時間と手間が必要な作業となる。
歌の間の金管・ドラムの「合いの手」部分を「オカズ」と言う。
この「オカズ」の部分は、音源を重ねて強調している。
曲の最後の部分は途切れているので、リバーヴ編集して余韻を作った。
【2番目の音楽 エンディング曲完全再現版】
※このチャンネル独自の編集
この曲はエンディングで、「♪チビ太の頭に毛が1本♪」から始まる。
そしてオープニング曲より速い速度である。
オープニング曲と同じ速さに編集した。
前奏部分はオープニング曲から、
歌い出し部分はエンディング曲から利用している。
1番目の曲をベースにして、エンディング曲を重ねている。
オリジナルのエンディング曲はキーボードの音量が大き過ぎるので、
音量を小さくして重ねた。
【3番目の曲 ボーカル+キーボード版】
※このチャンネル独自の編集
藤田まことのボーカル部分を抽出し、これを2番目の曲に重ねている。
【藤田まことを偲んで】
藤田 まこと 当時33歳(没後14年)
昭和37年(1962)、時代劇コメディー「てなもんや三度笠」が始まる。
当時の藤田は、テレビで6本、ラジオで5本の番組にレギュラー出演。
「主役の役者が他の番組で脇役を演じては恰好が付かない」と、
ディレクターの澤田隆治から、それらの番組を全て降板するように要求される。
昭和41年(1966)、「おそ松くん」が始まった時、
藤田は、すでに「売れっ子」であった。
当時、新聞・ラジオ・雑誌だけの世界で「売れっ子」になるのは、
言葉や表面を繕うだけでは、決して出来る事ではなかった。
昭和44年(1969)、裏番組「ヤングおー!おー!」が始まる。
「てなもんや」の人気は徐々に下降し、低視聴率をさまよう。
てなもんやシリーズの終了後、
藤田の下には「コメディのどうでもいい仕事の話」が来るが、
「コメディそのものにも、いまひとつ乗りきれないものを感じていた」
との理由で全て断り、地方のキャバレーを回る巡業に出る。
このとき藤田は、
「僕はもともと旅芸人、元に戻るだけや」という心境だったという。
昭和48年(1973)、広島のキャバレー出演中に、
時代劇「必殺仕置人」の中村主水役の出演オファーを受ける。
「必殺仕置人」は当初、山﨑努が演じる「念仏の鉄」が主役であったが、
次第に藤田の「中村主水」を中心に物語が展開するようになっていく。
この「必殺シリーズ」は中断を挟みながら、
平成04年(1992)年03月まで続く。