本州最大の離島、佐渡島の総鎮守:新潟県・度津神社 (Watatsu Shrine | Formidable Sado's "Ichinomiya")
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 Published On Feb 3, 2024

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 佐渡島の光景
1:19 一之鳥居、参道
1:33 二之鳥居、社号碑
2:03 手水舎周辺、神門
3:00 拝殿
3:43 本殿
3:53 度津神社社叢
4:17 境内摂末社
4:55 釣り石、亀石

どうも管理人のヒロリンです。

今回は新潟県佐渡市に鎮座する度津神社(わたつじんじゃ)を紹介したいと思います。

本土との最短距離約30kmに位置する日本海側で最大の離島「佐渡島」。島の面積は約855平方キロメートルあり、東京23区の約1.5倍の大きさです。古来、佐渡は日本海を通じて各地と交流を行っていた場所でもありました。古代人の身分の象徴として使用されていた管玉は佐渡の特産品でもあり、青森から福岡まで日本海側の遺跡から佐渡産の管玉が出土していることから、海上交通を通じて広い交流があったことがうなずけます。

また、佐渡島は流刑地としても有名で、古くは奈良時代から刑罰として佐渡に流された記録が残りますが、鎌倉時代に反乱を起こした1221年の承久の乱で佐渡に流された順徳天皇は、ついに都に帰ることなく流刑地で生涯を閉じます。島には京の貴族が流人としてやってくることで、離島でありながら佐渡に数多く残る能舞台からも都の文化が色濃く残る独特の島とも言えます。

そんな佐渡島の総鎮守として鎮座しているのが佐渡国一宮の度津神社です。度津神社の御祭神は五十猛命(いたけるのみこと)。五十猛命は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子神で、日本神話によると素戔嗚尊に従って朝鮮半島の新羅に行き、その後多くの種を新羅から日本へ持ち帰りました。そのため、日本にたくさんの木々が生い茂ったといいます。

木の種の神様であることから、五十猛命を祀る神社は農業、山林業、建築関係者からの信仰が篤いです。そんな五十猛命を祀る度津神社の中は立派な木々が林立しており、社殿や本殿をカメラのフレームにおさめようとすると、必ず木が入ってしまうほどです。

このように、度津神社は植林の守り神を祀る神社という一面がありますが、「度津」=「わたつみ」という神社名が物語っているように、「海神」(わたつみ)、つまり海上の守り神を祀る神社という一面も持っています。五十猛命は度津神社の前を流れる羽茂川(はもちがわ)で釣りをして楽しんだとされ、腰を掛けて釣り糸を垂れたとされる「釣り岩」や「亀石」(4:55)が境内にあることからも、陸上だけでなく水や海上の守護神としても篤い崇敬を受けていたことが分かります。

Watatsu Shrine is a Shinto shrine in the Hamochiiioka neighborhood of the city of Sado, Niigata. It is the ichinomiya of former Sado Province.

Located on the island of Sado in the Sea of Japan, the history of Watatsu Shrine is uncertain, as the shrine was completely destroyed by a flood during the Kan'ei era (1624-1643) of the Edo Period. According to shrine tradition, it was founded by the semi-legendary Kofun period Emperor Chūai (reigned 192–200 AD). Its name appears in the Engishiki records compiled in 927 AD, but only as a minor shrine. It was destroyed by a flood in 1470, and rebuilt by the Honma clan, who were rulers of Sado island, in 1472. The shrine appears to have been destroyed repeatedly by floods in 1493, 1533 and 1593, and was merged in 1493 with a nearby Hachiman shrine. It is only mentioned as an ichinomiya in 1678 with the publication the Shokoku Ichinomiya Pilgrimage Record by Shinto scholar Tachibana Mitsuyoshi. Following the Meiji restoration, with the establishment of State Shinto in 1872, the shrine was classified as a National shrine, 3rd rank.

The enshrined kami is Isonotakeru no mikoto, the son of Susanoo-no-Mikoto, who is said to have taught people shipbuilding and how to use ships, and his two sisters Oyahitsuhime no mikoto and Tsumatsuhime no Mikoto.

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