Emmons' final battle.〜米艦艇エモンズの最期〜 
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 Published On Nov 17, 2023

0:00〜【米艦艇エモンズ】

 沖縄県古宇利島。沖縄空港から約2時間移動したところに風光明媚で穏やかな島がある。古宇利島は橋で渡ることができ、美しい海と美しい浜が観光客を出迎えている。

 古宇利島から北東方向に1.5km。水深約40m、はるか深い海底に米海軍の艦船「エモンズ」が眠っている。1945年4月、上陸作戦に備え、レーダーによる索敵任務についていた米艦船エモンズ。その任務中に大挙した特攻機の攻撃を受けた。そのうちの5機がエモンズに突撃。特攻機の突撃を受けたエモンズは爆発し大破。航行が困難となり古宇利島沖に漂流。最終的には僚艦エリソンによる砲撃で海没処分された。そしてこの海没したエモンズのすぐ近くには突入した4機目の特攻機が静かに眠っている。沈没船エモンズは戦火を交えた日米両軍の手付かずの戦争史跡が見れる数少ないポイントとなっている。

【エモンズの現状、発見の経緯】

 2023年6月22日、私は沖縄県の古宇利島を訪れていた。エモンズの眠る水深は40m以上。まるで深い水深に守られているかのように、沈船エモンズと特攻機は深い海底に眠っている。

 戦後のスクラップブーム、戦後の貧困の中、戦時中に発生した鉄屑を収集して人々は一攫千金を夢見た。その中で地上にある剥き出しの戦争史跡はとっくに回収されて無くなっていった。エモンズも地上にあったのなら、戦後のスクラップブームでとっくになくなっていただろう。戦後存在を忘れ去られていたエモンズは幸運にも荒らされることなく現在まで戦後の姿を保っている。再び表舞台に立ったのはここ数十年の話である。

 2000年9月沖縄県古宇利島北部の海底から時折オイルが浮かんでくることを地元の漁業者が発見した。海上保安庁の捜査があり沈没船の存在が判明、その後地元のダイビングインストラクターの調査により、その沈没船は第二次世界大戦で沈没した米海軍、艦艇エモンズと判明した。

【エモンズの眠る世界】

 エモンズと特攻機が眠っている水深40mという世界。長い間、エモンズを表舞台から遠ざけ、守ってきたその環境。人間がおいそれと入ることのできる世界ではない。

 1気圧で吸う空気の量を1とすると、海抜0mではそのままの体積、1で吸うことができる。それが水圧のかかる水中では10m潜水するたびに1気圧かかることになる。

10mの潜水で1気圧足され2気圧となり、2気圧の空気の消費量は1気圧の2倍の空気の消費量となる。それでは水深40mのエモンズの空気消費は・・・・・。5気圧となり地上の5倍の速度で空気の消費が速くなる。容赦無く減っていくボンベの空気、実際には音はしていないのに体から軋む音が聞こえる気がする。水深40mはそんな世界である。

 また、5気圧ある水深40mという水深は通常の気圧、1気圧では溶け込み
にくい空気中の窒素が体内に溶けこませる。そのため、窒素酔い、減圧症を避ける意味合いでも潜水が可能な時間は限られている。

 浮上前の水深3〜6m付近で3分間停止し、その間に体内に溶け込んだ窒素を排出することを安全停止という。

 減圧停止とはしなければ減圧症になるレベルの潜水をしてしまい、段階を踏んで浮上し、窒素の体内からの排出をしなければならない時に行う。

 通常のレクレーションダイビングの範囲では安全停止だけで十分であるが、一定の水深、潜水時間以上の潜水を行うと限界以上の窒素が体に溶け込んでしまう。

 減圧不要限界とは理論上この「減圧停止」をせずに上がっても減圧症になることのない限界の潜水時間のことである。緊急事態発生時に急浮上しても理論上減圧症にならないので、安全であるという考えのもとである。

 減圧停止が必要のない潜水時間を減圧不要限界という。あくまで理論上はだ。実際は急激な水圧の変化により体内に溜まった窒素を穏やかな排出をするために水深3〜6m付近で安全停止を行う。

 以上のことを加味して、減圧不要限界を超えずにエモンズ周辺で活動できるのは7分程度と思ったほうがいいだろう。

0:25〜【エモンズの任務と特別攻撃隊】

 1945年4月米艦隊エモンズはレーダーで日本軍機を警戒する任務についていた。その任務は沖縄本島近くの慶良間島内湾にある米艦隊司令部に近づく攻撃機を少しでも早く発見し、味方の航空隊に知らせ、撃墜させることだった。

 アメリカ軍による沖縄侵攻作戦は、公式には「アイスバーグ作戦」と呼ばれている。アイスバーグ作戦とは台湾を飛び越して、いきなり沖縄を占拠して、日本本土攻略の足がかりにすることを決定する作戦だった。米軍は兵力を沖縄侵攻に集中することができ、日本陸軍の兵力の一部は台湾に当てられていたために日本軍の兵力の分断にも成功している。

 1945年3月、米軍機動部隊がミクロネシア連邦から沖縄へ向けて出港した。最初に標的にしたのは慶良間諸島である。慶良間諸島は沖縄本島、那覇の目と鼻の先にある。艦隊の投錨地と海軍水上機の基地の確保が目的だった。戦闘継続のため、海軍水上機は飛び、艦艇の弾薬は慶良間内海で補充された。本島の目と鼻の先にあり、四方を島に囲まれた慶良間諸島は沖縄本島攻略のために絶好の兵站拠点だったのである。

 沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、慶良間列島に上陸した1945年3月26日から始まった。日本軍は、本土上陸を企んでジリジリと押し寄せてくる連合国軍を沖縄で食いとめるため、海上での特攻作戦に加えて空からも神風特攻隊による特攻戦術を敢行させた。九州基地から飛来した特攻機は慶良間近海で虎視眈眈(こしたんたん)と沖縄本島への上陸をねらう米機動部隊に昼夜を問わず体当たり攻撃をかけた。

【補足】
菊水作戦
沖縄に来攻する連合国軍軍に対し特攻攻撃を実施した日本海軍の作戦
(神風特攻隊(海軍))

航空総攻撃
沖縄に来攻する連合国軍に対し特攻攻撃を実施した日本陸軍の作戦
(九州から出撃した部隊を振武隊、台湾から出撃した部隊を誠飛行隊という)

1:15〜【海上での戦闘、陸での戦闘】
 海上におけるこの戦闘では、陸での戦闘とは攻守の立場は逆となり、攻撃側は日本軍、そして守備側に立たされたのはアメリカ海軍だった。特攻機によるアメリカ艦隊への大規模な攻撃は、海軍では菊水作戦、陸軍では航空総攻撃と呼ばれ、アメリカ軍の中では、すでに“kamikaze”として知られた恐怖の突撃だったという証言がある。神風特攻隊は当時は「しんぷう特別攻撃隊と言われていたが、アメリカ側が読み間違え、神風と呼称していたため、戦後GHQが神風と呼ぶことを決めたという。これに関しては本動画でも神風と呼称することにしている。

1:34〜【対空早期警戒網】
 アメリカ軍は沖縄本島の残波岬を中心として、15ヶ所のレーダーピケットステーションを設置、特攻機の攻撃を早めに察知する作戦を立てた。第二次大戦には一般的になっていたレーダー。高度に構築されたレーダー網は航空機群に対し、効果的な早期警戒網を展開できた。昔のレーダーは水平線より下の標的を捉えることができないため、艦艇を一定間隔をおいて分散配置する必要があった。この分散配置された水上艦艇にレーダーピケット任務を付与し、敵機を察知した後には戦域空中警戒を行う友軍航空隊を誘導、攻撃させた。

2:14〜【エモンズと特攻機の交戦】

 エモンズは5機の特攻機から激突を受けて戦闘不能となったことが、アメリカ軍の『戦闘報告書』に記録されている。

 1945年4月6日、僚艦ロッドマンと共に航行していたエモンズは大規模に展開されていた特攻機の標的となった。最初の一機がロッドマンを攻撃。エモンズは損傷したロッドマンを護衛するために対空砲火を展開した。

 15時32分、3機の特攻機が分厚い雲の中から飛び出し、ロッドマンめがけて急降下。16時には特攻機が大挙して飛来し、この2艦への攻撃を開始した。特攻機はこの日が厚い雲に覆われていること、2艦の位置が陸に近くにあったことを利用して、自らの接近をわかりにくくしていた。米軍は特攻機がレーダーにも認められず、雲の中から急降下して飛び出してくる時まで、その存在を正確には把握できなかった。

 1機目の攻撃は17時32分。船体後方に激突した。エモンズ右舷側から特攻機が接近。エモンズは面舵をとり、特攻機を正対で迎える体制を取ろうとした。
正対することによって被弾面積を減らし、少しでも命中率を下げようとしたのだ。エモンズの第3砲塔は右舷120°を向いている。右から艦体後方へ激突してきた1機目への迎撃を行なっていた可能性がある。

 エモンズの回避行動も虚しく、一機目の特攻機は右舷後方に衝突。この攻撃でエモンズの船尾方向のすべてが完全に欠損。エモンズは一機目の衝突で左舷のスクリューが操作できなくなったほど、大ダメージを受けた。なぜここまで酷い損害を受けたのだろうか?エモンズには内部爆発の痕跡が見つかっている。エモンズは現在も海底にあるエモンズには機雷を確認することができる。一機目の衝突が、艦体後部の機雷を誘爆し、大きく内部破壊をもたらし、結果エモンズは航行不能になったと考えられる。

3:53〜【2機目、3機目の特攻】
 エモンズは1機目の激突を受けたその2分後の17時34分、2機目と3機目の激突を船の中枢である艦橋部に受けた。2機の衝突はほぼ同時で、2機目が右舷側から艦橋3階の操舵室へ。3機目が左舷側から艦橋2階の戦闘指揮所に激突した。
この2機による激突と5機目の激突によって艦橋全体の構造が破壊され、激しい火災が広がった。海底のエモンズを観察すると、艦橋は船体から分離し、海底面に広く崩壊している。艦橋4階の射撃塔は形を保っているが、激突を受けた艦橋3階の操舵室と艦橋2階の戦闘指揮所は崩壊しているのが確認できた。第1砲塔の向きは左舷 側80°を向いていることから唯一左舷側から激突した2機目に対する迎撃だった可能性がある。

2機目が右舷側から艦橋3階の操舵室
3機目が左舷側から艦橋2階の戦闘指揮所

4:26〜【米艦艇に残留した4機目の末路】
4機目は第3砲塔付近の右側に激突し、第3砲塔は機能しなくなったという。確かに第3砲塔を見てみると第三砲塔の劣化は著しく、砲の後部の外板は確認できない。直接的なダメージを受けたのだろうか?第1砲塔や第2砲塔は目立った損害は確認できない。また、特攻機はある程度原型を留めたまま第三砲塔付近に残留し、エモンズと共に沈没したと考えられる。こちらは第三砲塔の下に残された特攻機の脚である。しっかりとした骨組みにしっかりと固定された脚。どうやら固定脚のようだ。水深は43m。深い深い水の底に沈む脚。保存もされずに、戦後剥き出しのまま放置されたその姿は神々しく感じた。

5機目は胎首右側のフレーム30付近に激突した。

5:00〜【エモンズの砲塔の角度】
 特攻機は海面すれすれから突撃したことが知られている。爆装した特攻機が米軍の防空戦闘機に攻撃を受けたら簡単に撃墜されてしまう。艦船近くは対空砲火が激しく米防空戦闘機は巻き込まれないように低空まで降りてこれなかった。また低空で飛行する航空機は空対空戦闘での撃墜は難しく攻撃を加えるのが難しい。エモンズも低空飛行での攻撃を受けたと思われる。3つの砲塔はすべて水平かそれより下を向いている。

5:34〜【エモンズの現在とまとめ】

 日米が戦闘した痕跡が同時に見ることができる沈船エモンズ。戦後78年、ずっと海底に眠ったままです。そしてその姿は徐々に崩壊しつつあるとされる。特攻機が衝突、誘爆した第三砲塔付近の腐食は激しく、崩壊した鉄屑が重なり合っていたりしていた。エモンズは駆逐艦から掃海艇に変更になっており、現在も未処理の機雷が残されている。

エモンズ撮影日 2023年6月22日
ダイビング指導 ワールドダイビング 空良太郎氏
https://www.owd.jp

参考文献
海から見た沖縄戦〜USSエモンズと日本軍特攻機の戦闘〜
沖縄県立埋蔵文化財センター著

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